「台灣」新平渓煤礦のトロッコにイソウロウ
↑かつて石炭を運んだミニ鉄道も、往年の良き姿を残しつつ第二の人生に踏み出しました
おすすめサイト(日本語)新平渓煤礦を知る上で、是非ご覧頂ければ幸いです。歓迎光臨台灣軽便鐵路現役時代の新平渓の様子が活き活きと記録されています。台湾黄昏地帯閉山、廃鉱から観光施設として蘇る道のりが記録されています。
台灣煤礦博物館
台北から列車で約1時間少々。平渓線の十分駅から1キロほどの所にかつて新平渓煤鉱という炭鉱がありました。そこには石炭運び出しの為の軽便鉄道が走っていました。炭鉱が閉山になった現在、新平渓煤鉱跡地は台灣煤礦博物館と生まれ変わり、かつての炭鉱に関する展示や坑道の一部が公開されています。そしてかつて軽便鉄道だった鐵路には当時の貨車改造のトロッコ列車が博物館外1キロほどの地点から博物館へとお客さんを運んでいます。
今回私たちを運んでくれる電気機関車。側面の「ニチユ」の文字通りの日本生まれ。現役時代はパンタグラフ集電でしたが、現在はダミーとなり、バッテリー駆動となっています。キャブに開いた2つの丸い穴は、右側のヒサシ付き穴が現役時代ライトの入っていた穴。左側が運転士が全面を見るための穴です。現役時代は前方を見る窓が1つしかなかった為、トロッコ愛好家の中では「1つ目小僧」と呼ばれているそうです。
機関車のディテールを観察します。(左上) ボンネットの無い側のエンドは縦にに2つの穴が並びます。やはりヒサシのある上の穴にはライトが入っていました。(左下) 運転室。シンプルな造りに人一人分のスペースです。運転士さんは緑色の座布団に座って運転します。
コチラが客車。かつて石炭を運んでいた貨車に屋根を付けた楽しい客車です。(下) 板張りの座席は楽しさ満点!一両に2人か3人で満席になります。
いよいよトロッコに機関車を連結します!今回トロッコを運転する機関士さんは煤鉱現役時代から機関車を操ってきたベテラン、"欧巴桑"(→日本語の「おばさん」に漢字を当てたもの。意味も「オバサン」)ベテラン女性機関士の乗務にちょっと感激です。(左下) 欧巴桑は手際よく客車を連結し機回し完了!
欧巴桑が「いいかい、出るよ〜」とノッチを投入すると列車はゴロゴロと発進しました。1mに満たない線路幅の軌道を歩くほどの速度で列車はのんびり進みます。
山の中に敷かれた狭軌軌道は見ているだけでも心が和みます。
列車は森の香りのする木立の間をゆっくりと走ります。煤鉱時代は石炭運搬に奔走した鐵路も今では、「癒し系」。歩くほどの早さのトロッコに乗って、風を感じているだけで心身ともに洗われます。
トロッコが走るとマスコット犬"ピピ"が一緒に走って来ます。ピピは欧巴桑になついていて、いつも欧巴桑と一緒でなければ寂しいようです(^-^)
1つ目の丸窓より前方を見ているとかつてここが電化区間であった証-架線柱が立ち並びます。
欧巴桑のマスコン捌きも軽やかに列車はこの路線のハイライト「木のトンネル」に入ってゆきます。
亜熱帯の気候に大きく成長した樹木の中を列車は走って行きます。森の香りがたまらなく気持ち良いです!
遠くに台灣煤礦博物館が見えてくるといよいよ終点です。(中央) ゲートをくぐり列車は博物館に入ります。
かくして列車は台灣煤礦博物館のヤードに到着しました。今回のイソウロウはここまで。(中央下) 左側の方が博物館のオーナーさん。突然の日本人来訪にも関わらず暖かく歓迎して頂きました。
欧巴桑は列車到着後も、もくもくとヤードの列車を入れ替えします。(右中央) 任務を終えた機関車は充電コードを接続して明日に備えます。
入換が終わり機関車を降りる欧巴桑。三角帽子とゴム手袋、長靴、そして首から肩を覆うタオルと煤鉱時代からのいでたち。暑い台湾にあって現役時代の作業がいかに大変だったかを今に伝えています。欧巴桑、乗務お疲れ様でした!
トロッコを堪能した後は機関庫横の敷地で台湾流「ディナー」をご馳走になります。(右下) ピピも一緒に晩御飯です。
日も暮れてすっかりお腹も一杯になると次はクライマックス「天燈」を上げます。「天燈」とは1メートルほどの紙風船に灯火を入れて熱気球の原理で空高く打ち上げる台湾の伝統的な催しです。日本では鐘楼流しなど川に灯火を流すスタイルが有りますが、台湾では願いを込めて空に流します。 (右下)皆で好き好きに書きます。
天燈に点火して空高く打ち上げます。熱気球の如く空高く舞い上がった天燈は星のようで非常に綺麗です。
↑丸窓から見えるレールには再び命が蘇っています
台湾にはかつて製糖、炭鉱、森林、製塩と数々の軽便鉄道が存在しました。その後の台湾の発展により現在は数えるほどになりましたが、廃止になった幾つかの鉄道が現在こうして復活、保存されています。台湾発展の生き証人として現代台湾の癒し役としてこの様な保存鉄道の発展を願って止まない気持ちを持ちつつ新平渓を後にしました。
イソウロウ記録2004年4月※取材のための列車や天燈をご提供頂いた台灣煤礦博物館の皆様には心から感謝致します。大感謝!