「台湾」縦貫線(海線)追分駅にイソウロウ



日本時代の木造駅舎が残る台湾鐵路のジャンクション駅にイソウロウする。


↑瓦屋根の残る美しい木造駅舎は半世紀以上経った今も現役です。

鐵路の分かれ道〜追分駅

 

台湾中部の台中や彰化に近い追分駅は台中県大肚郷玉田村と言う場所にあります。

当時西部幹線のメインルートだった現在の海線(縦貫線)と台中方面に行く台中線の分岐駅として1922年に追分と名付けられました。

ちなみに駅名は日本語の追分(OIWAKE:分岐点の意味)から取っています。

今回は日本時代から続く、分岐駅。追分駅にイソウロウします。

追分駅の位置関係

追分駅は台湾鐵路のメインルートである西部幹線の「海線」、「山線」が分かれ、さらに台中方面へのショートカット線「成追線」を擁するデルタ線の頂点の1つを為しています。彰化(CHANG-HUA:右上)を出た縦貫線は信号場になっている大肚渓(TA-TU-HSI)で現在のメインルート山線とそれを補完するかつてのメインルート海線に分かれます。海線は大肚渓で分岐してすぐ複線(双単線)になり、追分からまた単線区間になります。

追分駅からは台中にダイレクトで結ぶ為に成追線(単線電化)が分岐しており、彰化で方向転換をせずに台中へと向かう事が出来ます。

おすすめサイト(日本語)

台湾黄昏地帯
訪問困難な成追線の貴重な踏査記録を納めています

台灣黄昏地帯

追分駅ホーム

 

古い駅舎で有名な追分駅ですが、ホームが2面の広い構内で往年の鉄道の要所を実感させます。

魅惑の木造駅舎

ホームを出れば手入れの行き届いた美しい駅舎が待っています☆

海線には追分駅の他にも
談文、大山、新埔、日南など多くの古い駅舎が残っており、地元の観光スポットにもなっています。
 

駅舎の内部
 


駅の中も往年の雰囲気が満載で、様々な展示物で賑やかです。日本では古い駅舎は雪国がしっくりきがち(私だけ?)ですが、南国の凝った造りの木造駅舎もなかなか味があり、良い雰囲気です。


(右下) 駅の時刻表。追分駅は台中や彰化の郊外と言う事もあり、一日に40本近くの列車が停車します。

駅事務室にイソウロウ〜

 

早速駅の事務室を訪ねます〜

駅事務室の様子@

 

駅事務室の中には今は使われていない通票閉塞機が目を引きます。

今は信号制御はCTCになっていますが、左上画像のようなCTCモニターがあり、駅付近の列車の位置や状況がすぐに把握できるようになっています。

駅事務室の様子A

事務室内部も美しい木造で非常に好感の持てる空間です。

切符売り場の裏より

 

切符売り場にもおじゃましま〜す。

現在は端末による券売機になりましたが、かつての近距離硬券のホルダーも現役です。

数年前に「追分→成功」の乗車券が縁起物の乗車券として一台ブームが巻き起こり、多い時で一日に2万枚が売れたといいます。

ちなみに「追分・成功」は縁結びの縁起物、「追分・大肚」、「大肚・成功」は結婚と子宝の縁起物として人気を得ました。


(中央段) 乗車券に日付を刻印する機械。日本製の骨董かと思いきや、年式に「平成」とありビックリ!(@@"
 

信号モニターパネル


今回のイソウロウのメイン、信号操作盤です。海線/成追線を含む縦貫線は1962年にCTC化されており、現在は非常時以外はCTCの中央司令室から操作を行い、駅員さんはその動作を確認するのが職務となっています。ちなみに右側が大肚方向、左側は彰化(上2本)/成功(下1本)方面です。
 

CTCモニター

 

信号モニターパネルの隣にはPCのモニターがあります。これにはCTCからの列車位置と閉塞状況、列車の遅延状況等が表示されます。

成功(CHENG-KUNG)駅の下の赤い
109は列車番号で109列車が現在成功駅にいると言う表示です。その右側の緑の109は成功〜大肚渓間の閉塞が開き、109列車が通過予定である事を意味しています。

モニター盤のディテール

 

信号モニターパネルは花東線の通票廃止の再に導入されたものと同じ日本信号社製のものです。


(右下) CTCモニターに用いているPCは台湾Acer社の物です。

駅員さんのお仕事

追分駅は常時2人の駅員さんが常駐し、切符販売、出改札、列車の運行状況報告などの職務を行います。

 
追分駅に集まる車両たち


追分駅のある海線にはEMU400〜600の通勤電車のほかに、E1000等の自強号やEL牽引の呂*光号、復興号も一日に20本以上が行き交います。

(右上) 台中港へ向かう貨物も1時間おき位に走ります。この日の貨物列車は積荷が無く、機関車の単機回送状態の列車が多く見られました。


お茶の時間♪

一通り駅や列車を撮り終えると、助役のヤンさんがお茶を入れていただきました。お茶の作法が台湾式で、味も香りも素晴しいです☆




列車接近!

STEP.1 2417次接近

 

お茶をご馳走になっていると、CTCのモニター画面には緑の2417の文字が出て来ました。

今回のイソウロウのもう1つの目的、台鉄ならではの超絶技巧な列車捌きを観察します。


大肚駅〜追分駅に電車の2417次を通す為に閉塞を開けたという表示です。

 

解説画面

明るい緑の矢印()は閉塞が開いていると言う意味です。



大甲発の彰化行きの電車2417次を走らせる為、大肚〜追分までの閉塞を開けます。




STEP.2 2417次、大肚到着

 

大肚駅の2417の文字が赤色に。2417次が大肚駅に到着です。同時に追分〜大肚渓までの閉塞も開きました。



 

2417次が大肚駅に到着したと同時に、追分駅〜大肚渓間の閉塞が開きました。

追分駅〜大肚渓区間は複線区間の右側を通行します。
 


STEP.3 2417次、大肚発車

 

2417次が大肚駅を発車した。すかさず35と1024の文字が画面に飛び込んで来ました。

 電車2417次が大肚駅を発車する頃、彰化から海線に入る自強号1024次が彰化を出発、電車2417次の後続の呂*光35次も追いついてきました。

追分〜大肚渓の複線右側を2417次が走るのは、自強1024次を大肚渓や追分駅の分岐器通過の速度制限の少ない右側通行とするためである。


STEP.4 2417次、1024次、追分接近 

 

大肚渓〜追分の複線区間を右側通行して来た1024次と大肚を出発した2417次が同時に近付いて来ました。駅事務室には列車近接のブザーが鳴り響きます。

 

電車2417次と自強1024次は順調に接近しています。

下りの後続列車の35次は大肚駅の待避線で自強1024次と交換します。


STEP.5 2417次、追分入線

 

まず先にやって来たのは電車2417次です。助役さんは客扱いの為にホームに出ます。

 

EMU500系の2417次は追分駅に定時で滑り込みました。



2417次が追分駅に入線すると、追分駅〜大肚駅の閉塞を閉めます。


STEP.6 1024次、追分通過!

追分駅〜大肚駅を上り1024次の閉塞扱いが完了し、程なく、EMU300の1024次が見えて来ました。1024次は80Km/hほどの速度であっという間に通過して行きました。

 

追分駅〜大肚駅を1024次通過の扱いで閉塞を実施。同時に1024次が走った大肚渓〜追分駅の閉塞は閉じられます。

35次はようやく大肚駅に差し掛かった所です。


STEP.7 2417次、追分開車!

 

2417次は客扱いを終えて、追分駅を発車し、複線区間を右側通行します。

 

2417次の出発と共に、大肚渓〜追分区間に上り貨物の1972次の閉塞扱いが行われます。

 

自強1024次の後続の貨物1972次の閉塞が開きます。1972次は追分駅で35次の通過を待つために追分駅の中線へ入線します。

35次は大肚駅に到着。1024次列車の通過の為の閉塞措置がとられます。
 


STEP.8 1024次、大肚通過中、1972次、大肚渓通過

程なく1024次が35次の退避する大肚駅を通過。同じ頃、彰化方では1972次が大肚渓を通過したところだ。


 

貨物1972次が大肚渓を通過したと同時に2417次の大肚渓〜彰化駅の閉塞が開きました。

その頃自強1024次は大肚駅を通過、追分駅〜大肚駅の閉塞が閉じられました。


STEP.9 1972次、追分接近、35次、大肚出発





右側通行をして来た貨物1972次が接近して来ました。

また下りの35次も大肚駅を出発しました。

 

上り1972次と下り35次がそれぞれ追分駅に向かって走ります。


STEP.10 1972次、追分停車、35次、追分通過


貨物1972次が到着。今日は貨車が無く機関車R20型R32の単行です。

1972次が到着して、数10秒後、35次が姿を現し、70Km/hほどの速度で通過して行きました。手早い信号操作で通過列車が速度を落とす事無く通過できる事が実感できます。

 

1972次が中線に退避し、35次が通過します。35次はそのまま追分駅〜大肚渓の複線区間を左側走行で走り抜けます。


STEP.11 1972次、追分出発





35次の通過後、1972次の閉塞が開き、大肚駅へと出発して行きました。出発信号は分岐器の速度に合わせてか、黄色2灯の「中速(60Km/h以下で出発せよ)」の表示が出ています。

 

列車はそれぞれの目的地を目指して出発して行きます。
 





大仕事を終えて


双単線の性能を最大限に使用した列車捌きを終え、駅はまたのんびりした時間が流れます。

日没も近く



夕方になり、駅に灯りがともります。

灯りに照らされた駅舎を見ていると、暖かい雰囲気がまた旅情を誘います。

平快車廃止



駅には告知が貼られていました「民國94年(2005年)1月10日から一部の列車ダイヤを変更します」

2本の平快車(客車快速列車)を運転休止し、代替に通勤電車を3本増発すると言う告知です。

長い間海線の旅客輸送を支え、台湾の発展を支えてきた名物列車も時代の流れに呑まれ、歴史の中へ入って行きます。

平快1517次接近


イソウロウの締めくくりに消え行く平快車に乗車します。

ELに牽かれた昔ながらの客車は静寂なホームにブレーキの鈍い音がこだまさせてゆっくりと停車します。

 

平快に乗ってお別れです



平快車が到着すると多くの乗客が降りてきました。ホームが賑やかになる中、お世話になった助役さんと「また来いよ〜」と握手を交わして別れを惜しみました。

別れを惜しんだ後、助役さんの無線と共に平快車は静かに動き出し、夕暮れの彰化へと南下します。

追分駅の皆様、ありがとうございました!多謝〜!
 

追分駅を後にする

室蘭本線や、奥羽本線にもある追分駅。分かれ道という名にふさわしい駅名は今も台湾鐵路の重要な要所として今も活躍しています。古い駅舎を大事にしながら、その中ではハイテクな列車裁きの職人芸が活きています。

古いものは大切にし、新しいものはどんどん育てる、そんな台湾鐵路の意気込みと、駅員さんの親切に心を奪われながら追分駅を後にした…

イソウロウ日時
2004年12月


※2005年1月10日のダイヤ改正で海線を走る全ての平快車は多くのファンに惜しまれつつ、その任務を終了しました。
 



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